2007年度 経済統計学会賞

受賞者:山口秋義(九州国際大学)

選考結果報告

選考対象論文
山口秋義著『ロシア国家統計制度の成立』(2003年2月)

 

本論文は、山口秋義会員がこれまで15年近くにわたり追求してきたロシアにおける国家統計制度の成立並びにソ連崩壊後のその変容と将来展望に関する一連の研究成果をまとめたものである。

1.論文の特徴

(1)歴史的・国際的視点と現実の機能実態に基づく分析
 従来の統計史研究では、社会主義国家統計制度について、集中型統計組織と統計報告制度とがその二大支柱とされてきた。本論文は、ロシアにおけるそれらの 成立と定着の条件の分析を通じて両者の位置づけの相違点を明らかにするとともに、移行経済下のロシア国家統計制度の将来展望を示すことを課題としている。
まず、集中型統計組織の成立について筆者は、それを帝政ロシアから継承された負の遺産という初期条件並びに万国統計会議での論議や勧告といった歴史的・国 際的関係の中で捉える必要があるとしている。一次資料の分析の結果、筆者は、これまで10月革命後の中央統計局の設置をもって集中型統計制度の成立とされ てきた定説に異論を唱え、帝政末期の統計の無秩序状態への反省から臨時政府がすでに集中型統計組織の青写真を描いていたとして、むしろそれ以前との連続性 において捉える必要があるとしている。集中型統計機構の必然性を社会主義政治経済体制にではなく特殊ロシア的事情に求める筆者にとって、ソ連崩壊後の移行 経済下でロシアが集中型国家統計制度を堅持しているのは、歴史的にもむしろ当然の帰結とされる。
一方、統計報告制度の成立並びに機能について筆者は、単に組織論にとどまらず、具体的に経済運営の根幹をなす工業統計の作成方式の分析を通してその展開方 向の論理的必然性を明らかにしている。筆者は、工業企業からの報告徴集を例に、1918年10月の制度導入以降も内戦さらにはネップ期の調査の無秩序な実 施等により統計報告制度が当初充分機能せず、それが本格的に定着するのは第一次五カ年計画が具体的な日程に上る20年代末であるとしている。筆者によれ ば、統計報告制度は「計画化」に随伴するものであり、そこでは安定した事業所数と報告者に対する統計組織の強大な報告徴集権限がその前提をなす。統計報告 制度は、同国における国家統計作成の系統として今日もなお維持されている。しかし、この点に関して筆者は、市場経済化に伴う企業の開廃業の急増、虚偽の報 告に対する監査の実施の困難によりその存立基盤はすでに消滅していると結論づけている。

(2)研究の今日的意義
1.今日、いわゆる移行経済諸国における統計の整備は、国連欧州経済委員会等でも主要な政策事項となっている。移行経済下のロシア国家統計制度がそれまで の統計制度からどの部分を継承し、また新たな対応を要する課題が何かを明確にすることは、国際的な統計行政の観点からも意義がある。
2.今日、世界各国の統計機構を見渡した場合、集中型組織を採用しているのは、カナダ、オランダなど一部に限られ、他はいずれも分散型である。わが国を典 型として分散型機構の多くの国では、調整機関が必ずしも十全に機能しているとはいえない。そのような中で社会主義政権下のロシアにおける集中型統計組織の 機能の実態解明は、これらの国々における政府統計機構の将来の制度設計に有効な示唆を提供しうる。
3.近代国家の成立以来、政府統計体系はセンサスを機軸に編成されてきた。現在のわが国の国勢調査の実施状況にも象徴されるように、深刻化する調査環境は 各国政府にセンサスの在り方そのものの再検討という課題を突きつけている。すでに北欧諸国はレジスター・ベースの統計制度への移行を完了しており、欧米の 主要国でも従来の調査統計に基づく統計体系から業務記録や登録情報をも統計作成に広範に活用する統計制度へとその展開の舵を切りつつある。このような中 で、本論文が考察の対象としている統計報告制度の機能の実態とそこに内在する問題点の確認は、登録や業務情報が果たしてどこまで調査統計に代替可能である かを探る上でも有効であろう。
4.企業統計の品質の低下を食い止めその全体的レベルの改善のために、わが国でもビジネス・レジスターの整備が喫緊の課題となっている。わが国における経 済センサスの論議には、この点についての認識が必ずしも十分ではないことから、本論文が紹介している統一企業・団体国家レジスターの編成並びにその機能 は、わが国でのフレーム整備をめぐる論議に対しても示唆的内容を含んでいる。

(3)研究の希少性
 社会主義計画経済が盛行を極めた時期にあっても、わが国での研究の取り組みは非組織的で、いずれも断片的なものにとどまる。そのような中で本論文は、ロ シアにおける社会主義計画経済成立期の国家統計制度と正面から取り組んだわが国初の本格的研究であるといえる。本論文は、本学会内に対しては、国際統計史 という未開拓の研究分野の存在を提示した。他方、学会の外に向けては、本学会の研究面での守備範囲の広さを具体的に周知させたという点で意義深いものがあ る。

(4)研究方法の独自性
 ソ連の統計制度については、А.И.Эжовの一連の業績が知られている。従来のわが国におけるソ連統計制度研究は、ソ連等での研究結果に依拠したいわ ば二次資料に基づく研究が通例であった。筆者は本論文の作成にあたり、ゴルバチョフ以降の情報公開の下、一次資料が一時的に外部の学術研究者に対してもア クセスが可能となった歴史的好機をとらえ、ロシア国立歴史公文書館その他で精力的に一次資料を渉猟し、入手した原資料の中から説明論理を独自に構築してい る。この点も統計史あるいは統計行政史の研究方法として評価できよう。

2.残された課題
筆者は、社会主義政権の成立から今日までのソ連・ロシア統計史について、第1期 世界初の集中型統計組織としての中央統計局(ЦСУ)の設置から30年に 国家計画委員会に吸収されるまでの期間(1917〜30年);第2期 統計機関と計画組織との緊密な連携が定着するスターリン体制期(1931〜54 年);第3期 ペレストロイカ開始までの時期(1955〜85年);第4期 ペレストロイカの一環としての統計改革の開始、ソ連崩壊(1985〜91 年);第5期 移行経済期に適合した統計体系への移行期(1992年以降)の5つに時代区分している。
本論文は、そのうちの第1期に関する研究成果である。ロシアにおける政府統計制度の「成立期」であるこの時期が、集中型統計組織と統計報告制度の成立から 定着という制度の特性を明らかにする上で決定的な意味を持つことはいうまでもない。とはいえ、制度の「定着」に至る過程だけでなく、その後の制度の「展 開」や「変容」の中にも、それらの基本的特性を規定する多くの要素が含まれていると考えられる。その主要なものを挙げれば、利潤導入による計画化方式の転 換が統計報告制度にどのような影響を及ぼしたか、また虚偽の統計報告が盛行するようになる現実的契機はどこにあったのか、さらには中央統計局のゴスプラン からの分離独立や統計局の地方直轄組織としての機械計算センター(МСС)網設置の契機とその機能の実態、などがそれである。これらについても、引き続き その本格的な検討を期待したい。

3.選考結果
 本論文は、ロシアにおける国家統計制度について、主としてその成立局面に焦点を当てることでその特殊ロシア的性格を析出しようとする意欲的研究であると いえる。とはいえこれは、筆者自身が設定した研究プランの総体からすればその一部に過ぎない。その意味で筆者自身が提起したプラン全体の完遂には、今後さ らに気の遠くなるような学問的投入が要求されよう。現代の研究動向は、ともすれば社会主義政治経済体制下の統計制度を単に過去の歴史の一こまとして葬り去 りがちな傾向が認められる。そのような中で筆者の問題提起は、国際統計史という統計学の一研究分野の存在をロシア統計史という具体的な形で本会内外に示し たことの意義は大きい。
以上のような理由から、学会賞選考委員会は本論文に対して2007年度経済統計学会賞を授与することにした。

(学会賞選考委員会)

 

 

 

 

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